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親愛力

昨日、私、やらかしてしまいました。

大失敗。

だけど、すごくハッと気づかされる

教訓になりました。

 

大切な人が私のことを気遣って

『無理しないで』と心配してくれたのに

『(無理しないなんて)それは無理』

と言ってしまいました。

本当にイヤな感じ(^^;)

ごめんなさい。

 

そもそも、

病み上がりの私。

 

体調不良のせいで

やらなくちゃいけない!!ってことが遅々として捗らず、焦っている中、

ちょっと不愉快&ちょいとケガをする事件が。

 

それを『聴いてー』と大切な人に愚痴る。

あー、この時点で、もうこれはデフレスパイラル

 

穏やかな心持ちでない時に

誰かの心に居場所を見つけようとしても

上手くいくはずはありません。

 

それは相手を針刺(手芸のピンクッション)に

しちゃう行為。ブスッと刺しちゃうこと。

 

人間関係は

相手はクッション

自分はクッションカバーにならないと。

 

針になってる時に

優しい人に甘えて、優しい言葉を期待してもね、

期待通りに上手くいかないのは当たり前。

 

愚痴るなら、せめて

心の波が鎮まってからにしないとね。

本当にごめんなさいって後悔してしまうから。

今の私のように。(´-`).。oO

 

不穏モードの自分に対して

まずは寄り添う?親愛を持って抱きしめる気持ちを持つ。

それが大事なのかも。

 

 

イライラ、悲しみモード

自己抱擁

自己受容

誰かと寄り添いあえる自分になる、

クッションカバーになれる

人間関係を親愛関係にする行動を選択

クッションを包み込める

穏やかになる、暖かくなる^ ^

 

 

 

 

自己抱擁、自己受容は

まさにマインドフルネスの基礎。

でもね、

基礎だからって、簡単じゃない。

 

基礎だから

繰り返しのトライ&エラーで身につくのかも。

エラー、失敗は履修必須科目。

 

マインドフルとマインドレスな自分を

行きつ戻りつ、

マインドフルな自分でいる時間を増やせるように

教訓を活かしたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日向でお休みしていいんだよ〜心のケガ〜

心の病気、

心の風邪

 

そう言われる病っていくつかあるよね。

 

だけど、

病気っていうより

ケガじゃないかなって思う。

心のケガだよって思う。

 

なんて呼ぶにしろ、

その状態になった全責任が

本人にあるわけじゃない。

 

全責任が家族に、恋人に、友人にある訳でもない。

全責任が職場や学校にある訳じゃない。

全責任が社会にある訳じゃない。

 

その状態になる要素が

至るところにあったはず。

 

その要素が

色々な方向から複雑に絡み合って

起きたこと。

 

ケガを思い浮かべて欲しい。

 

例えば小学生の運動会。

リレーのアンカー選手が

転んでケガをしたとしたら?

責任は誰にあるの?

 

バトンをもらった時点で最下位。

一生懸命に走って、ひとつ前の順位のアンカーに並んだとして

そこで接触してしまい、抜かせず転んでケガをしたら

全てその子の責任?

 

それとも接触した走者の責任?

 

最下位でバトンを渡した

同じリレーチームの前走者たちのせい?

クラス担任のせい?

リレーを競技に入れた学校の責任?

 

並んだアンカーの子が

わざと走路妨害したなら話はちょっと別だけど、

 

妨害してないとして

ケガも最下位も

誰かが全責任を負うべきことなのかな?

 

私は違うと思うんだ。

起きてしまう要素があっただけだから。

 

だから、転んだアンカーの子が痛がる姿を見て、

『泣くなら、みんなから見えないところで泣きなさい』なんて言う人は

いないと思う。

 

こんなシュチュエーションだったら

学校や先生は

走り寄って、

ケガの具合を看る。応急処置をする。

担架が必要なら持ってくる。

軽度なら

『大丈夫?立てる?』『歩ける?』って確認して

ゴールまで歩くか、それとも棄権するか、本人とお話する…。

そんな対応をするだろうし、

 

周りの児童、保護者や観客も

温かい目で心配しつつ見守ると思う。

頑張ったことを分かってるから。

 

転んだ子はケガの応急処置や手当を隠れて受ける必要はない。

ケガで学校を休むにしろ、堂々と休める。

頑張ったことをみんなが認めてくれるのを知ってるから。

 

 

 

心の病も

運動会のリレーでのケガと一緒じゃないのかな。

 

心のケガも

責任の押し付け合いはいうまでもなく

無意味なこと。

 

だけど、人目から離れて痛みに耐えなくちゃ、と

思ってしまう人が多い気がする。

温かい眼差しを感じ取れないなら、なおさらね。

 

心のケガは

日影で痛がったり、耐えなくちゃいけない?

日影で治療しなくちゃ、休まなくちゃいけない?

それっておかしい。

 

日向でお休みしていいんだよ‼️

 

校庭の真ん中でのケガと同じだよね。

日向で痛がっていい。

日向で手当を受けていいんだよ。

 

温かい、ポカポカした日向を作るのは

家族や恋人、友人だけ?

学校?社会?

 

きっと、私自身。

日向を作る責任が私にある気がする。

どんな眼差しで何をすれば日向になれるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉で終わらせない

困っているとき

助けが欲しいとき

 

 

そんなときに

『大丈夫?話なら聴くよ。』

『なにも出来ないけれど応援してるから!』

って言ってくれる人って有難い。優しい。

 

 

だけどね、

本調子じゃない私をみて

今日、

あるひとが

言葉だけでなく

つまり

言葉で終わらせないで 

手を差し伸べてくれた。

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

本当に

ありがとう。

 

 

心を遣うって、

行動なんだね。

 

言葉を遣う以上に

時間もエネルギーも注ぐことなんだね。

 

教えてくれてありがとう。

 

それを見返りを求めずに

サラッと、

自然に実行する姿に

愛が透けて見えたよ。

 

本当にありがとう!

 

 

あなたが困る状況は

決して来て欲しくない。

 

だけど、万一そのときは

なんでもできるし、なんでもする。

 

私も

言葉で終わらせない。

 

今日は本当にありがとう。

 

 

 

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猫のように

今日も、猫師匠はマインドフルに側にいてくれる。

 

いや、私が側にいるのを受け入れてくれてる。

 

猫師匠は

自分のご機嫌を自分で整える。

気に入らないことがあると

ゴロゴロ喉を鳴らして

毛繕いして

自分をリラックスさせる。

 

 

誰か次第で不機嫌になる君とは

違うんだなぁ、とばかりに

今、私の枕の上で毛繕いしてリラックス中。

 

 

昔、

どんな親が子どもの心に安心をもたらすか

何かの文献で読んだっけ、そういえば。

 

 

それはね、

ビックリするくらい単純で

泣きたくなるくらい深いんだよ。

 

 

子どもが安心できる親とは

常に言動に一貫性がある親。

 

気難しく頑固でも構わないんだよ。

おっちょこちょいでも

少しくらい料理が不味くても

少しくらい部屋が汚くてもいいんだよ。

 

子どもが

お手伝いした時に

あるときは、ありがとうって言ったのに

あるときは、やらなくていいから!っていう。

 

子どもがなにか間違えたときに

あるときは、言葉で諭すのに

あるときは、いきなり平手打ち。

 

そんな一貫性がない親に育てられる

つまり、

不機嫌と上機嫌を行ったり来たりする親に育てられると

心が不安定になるらしい。

 

 

至極、当たり前。

いつも親、そして他者の反応に過敏な子どもになるだろうからね。

 

 

でもね、

身近な人に、一貫性のない言動を

しちゃってないかな?って

我が身を振り返ると

 

あらら😅💧💧となるわけですよ。

 

常にご機嫌に生きるなんて無理。

常に揺れない穏やかな自分なんて幻想。

 

だけど、マインドフルネスやヨガで

自分を観て、言動をしっかり選択したい。

 

目の前の大事な人と自分の間に

どんな空間を作りたいか

忘れちゃいけないな。

 

 

不機嫌な自分がいたら

深呼吸して

不機嫌さんにも今、ここで

居場所を作って寛いでもらおう。

 

 

猫師匠にとっての毛繕い、

今日の私にとっては

美味しいハーブティーかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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〜瞑想中の睡魔〜サットヴァへのヒント

 毎晩、

30分、じっと静かに座る。

それが今の私の理想。

 

 でも

現実は

20分以降は睡魔に負けて

寝てしまう。

 

 

寝てしまうのが

悪いわけじゃない。

 

意志が弱いとしても

それが今の私。

ただの事実。

 

 とはいえ、

瞑想中寝てしまうのはどういうことか。

 

ネットで調べてみると…

 

◎疲れ

◎見たくない本音からの自己防衛

 

そんな記事が多いかな。

 

 

でも、睡魔と闘う中で

頭に

浮かんでくるイメージは

どれも日中の仕事のこと。

 

残念ながら多くの職場がそうであるように

私の職場も常にせかせかモード。

 

一緒にその場にいるすべての人が

時間に追われ、こうあるべきだという

縛りの中にいる。

誰の心もリラックスしてない。

 

でも、自分が選んだ職場。

笑顔がない同僚を見るたびに

せめて笑顔でいようとするんだけど

引き攣ってるのかもしれないなぁ、私も。

 

そう、日中は

常に身体も心も引き攣ってる。

マインドもせかせか。

呼吸も浅いから、血圧も高いはず。

 

 

ヨガのグナでいうところのラジャスな状態。

 

グナってなにかというと

 

ヨガでは全て自然物には

サットヴァは純粋さ、知性といった質
ラジャスは活発、激しさ、攻撃的、活動的な質
タマスは鈍い、怠惰な、変化しない質
この3つのグナの混合、組合せでできているとされてるのです。

 

考えや体質も3つの質のバランスが大切なんです。

 

瞑想はサットヴァの現れ。

ラジャシックな生活を日中送れば

ホメオスタシスでタマスになって当然。

眠気でスローダウン、無気力、無関心でお休みモードになって当たり前。

 

 

だから、瞑想前にコーヒー飲んで運動してラジャスでいようとしてもダメなわけだよね。

 

ラジャスが強過ぎる日中を見直すのが一番。

 

世界がそうであるように、

社会がそうであるように、

職場も

価値観が違う人が集まり

働く本音も人それぞれ。

本気度も、能力も人それぞれ。

 

だから、人と自分を比べたり

○✖️つけたり

競ったり、、、

 

 

自分の頑張りがちゃんと評価されるべきと思ったり

誰かを非難したくなったり、、、

 

そんな気持ちに気付くこと、

気付きながら

苦しい考え方なら

発想を変えてく。

 

考え方に気付きながら

目の前の仕事に悩んで

悩んでることにも

気付きながら自分の価値観を思い出す

 

価値観をしっかり真っ直ぐ見て

深呼吸して

身体だけせかせか動かす

 

それが必要なんだろうなぁ…。  

かなり難しいかもね〜( ;∀;)

 

 でも、

日中にマインドフルであることが

ヨガや瞑想の目指すところ。

 

だから、

深呼吸しつつ、

早く動くことからチャレンジしよう!

 

 

そう、ヨガのアサナの練習と同じじゃない( ^ω^ )笑。

アシュタンガビンヤサヨガをしながら

アシュタンガヨガ、つまりヤマ、二ヤマに則り

マインドフルである。

それと同じ!

 

もしかしたら

ハンドスタンドより

セカンドシリーズより

職場でヨギーニである方が難しいかもね〜(^^)

まだ、プライマリーさえできない私ですが、…。

 

瞑想中の睡魔だけど、

そうやって心身を労わる命の働きだったんだ、きっと。
日中ラジャス一色なアホな私をタマスで守ってくれてるんだから、命って凄く有り難い。

 

生きてることに感謝です。