日向でお休みしていいんだよ〜心のケガ〜

心の病気、

心の風邪

 

そう言われる病っていくつかあるよね。

 

だけど、

病気っていうより

ケガじゃないかなって思う。

心のケガだよって思う。

 

なんて呼ぶにしろ、

その状態になった全責任が

本人にあるわけじゃない。

 

全責任が家族に、恋人に、友人にある訳でもない。

全責任が職場や学校にある訳じゃない。

全責任が社会にある訳じゃない。

 

その状態になる要素が

至るところにあったはず。

 

その要素が

色々な方向から複雑に絡み合って

起きたこと。

 

ケガを思い浮かべて欲しい。

 

例えば小学生の運動会。

リレーのアンカー選手が

転んでケガをしたとしたら?

責任は誰にあるの?

 

バトンをもらった時点で最下位。

一生懸命に走って、ひとつ前の順位のアンカーに並んだとして

そこで接触してしまい、抜かせず転んでケガをしたら

全てその子の責任?

 

それとも接触した走者の責任?

 

最下位でバトンを渡した

同じリレーチームの前走者たちのせい?

クラス担任のせい?

リレーを競技に入れた学校の責任?

 

並んだアンカーの子が

わざと走路妨害したなら話はちょっと別だけど、

 

妨害してないとして

ケガも最下位も

誰かが全責任を負うべきことなのかな?

 

私は違うと思うんだ。

起きてしまう要素があっただけだから。

 

だから、転んだアンカーの子が痛がる姿を見て、

『泣くなら、みんなから見えないところで泣きなさい』なんて言う人は

いないと思う。

 

こんなシュチュエーションだったら

学校や先生は

走り寄って、

ケガの具合を看る。応急処置をする。

担架が必要なら持ってくる。

軽度なら

『大丈夫?立てる?』『歩ける?』って確認して

ゴールまで歩くか、それとも棄権するか、本人とお話する…。

そんな対応をするだろうし、

 

周りの児童、保護者や観客も

温かい目で心配しつつ見守ると思う。

頑張ったことを分かってるから。

 

転んだ子はケガの応急処置や手当を隠れて受ける必要はない。

ケガで学校を休むにしろ、堂々と休める。

頑張ったことをみんなが認めてくれるのを知ってるから。

 

 

 

心の病も

運動会のリレーでのケガと一緒じゃないのかな。

 

心のケガも

責任の押し付け合いはいうまでもなく

無意味なこと。

 

だけど、人目から離れて痛みに耐えなくちゃ、と

思ってしまう人が多い気がする。

温かい眼差しを感じ取れないなら、なおさらね。

 

心のケガは

日影で痛がったり、耐えなくちゃいけない?

日影で治療しなくちゃ、休まなくちゃいけない?

それっておかしい。

 

日向でお休みしていいんだよ‼️

 

校庭の真ん中でのケガと同じだよね。

日向で痛がっていい。

日向で手当を受けていいんだよ。

 

温かい、ポカポカした日向を作るのは

家族や恋人、友人だけ?

学校?社会?

 

きっと、私自身。

日向を作る責任が私にある気がする。

どんな眼差しで何をすれば日向になれるのかな。